空間について | sassan2000 diary

空間について

今回は大きく分けて2種類の作品を展示した。
ペン密に書き込んだ上から艶出しメディウムでコーティングした作品と、
ペンで描いた上から艶なしの白の絵の具を塗って線の色を薄くした作品。

前者はかなり密に書き込まれているため、
初めて見る人は近くに吸い込まれて細部の描き込みを目で追う。
しかし作品と観客の物理的距離がどれだけ近づいても、
硬質な作品と観客との内面の距離は遠いままでいつまでも近づき難い。
これらの作品は、
あるバンドのライブを見たときに感じた、
演奏者から観客へ向けて一方的に発せられるエネルギーのイメージを描いたもの。
その音の粒が聴き手の心の中を半ば暴力的に掻き回し、
その後一人一人の心の中で変化が生じる。
今回の観客の中にも、おぞましい、怖いといった感想を持った人がいた。


一方後者は一見真っ白に見える程淡い作品で、
見る人は物理的距離に関係なく、
心がぐーっと絵の中心やその向こう側へ吸い込まれる。
作品と観客の内面の距離がとても近くなることのできる作品。



前者の制作には心身共にかなりの労力が必要とされ、
特に丸一ヶ月引きこもって描いたhalcyonでそれはピークに達した。
一体なぜこんなにつらい思いまでして制作をしているのだろう、
もう止めてしまいたいと思う反面、
この混沌の先には一体どんな風景が広がっているのだろうという思いが生まれて来た。
その答えが後者の作品達である。
今の気持ちをそのまま吐き出した作品。
真っ白い風景、
それは幸せなのか悲しみなのかはわからない。
依田君の
「白すぎる絵は幸福という錯覚、あるいは幸福についての錯覚をイメージさせる」
という言葉が印象深い。


前者と後者、それらが一体となった今回の空間は、
陰と陽が渦巻くものになったと思う。
観客の多くは前者よりも後者の作品に親近感を覚えていた。
しかしどちらが欠けてもこれらは成立しないと思う。
例えば音楽でもそうなのだが、
激しい曲があるから穏やかな曲が際立ち、その逆も言える。
これは人生やその他あらゆる事象にあてはまる事。

まさにこの一年で作り上げた一枚のアルバムのような空間だった。