sassan2000 diary -23ページ目

根本 智雅子展 @ 画廊 編

今日は個展の下見をしに夜19時頃「ぎゃらり かのこ」に行った。

一階の「画廊 編」で根本 智雅子さんが個展をされていて、
その作品にしばし釘付け。
淡く見える背景と、
その上から描かれた細い線の細密画。
それらは関連しているのか独立しているのか、、、
自分がやってみたいと構想していたことに少し共通する部分があり、
とてもおもしろかった。

(後からご本人に教えて頂いたのだが、
写真をカラーコピーしてそのインクを支持体に染み込ませたり、
紙を何枚も重ねたり、線は岩絵の具で描かれていたり、
とにかくすごく手間のかかった作品で
、その手法やアイディアに驚いた。)


そうしてしばし絵の世界に浸っていると
横の部屋から酒の匂いと笑い声が、、、
このギャラリーのこの時間帯にはよく見る光景なのだが、
やはり酒盛りでした。

根本さんともう一人白髪の男性、
二人ともすでに良い感じ。
しかも目の前には高そうな「お酒」が。
さっそく注がれそうになるが、
その後バイクで予定があったため残念「お茶」を頂きました。

それから三人でテンション高めのお話会。
根本さんはおそらく自分と一回りくらい違うと思うのけど、
とてもかわいらしくて(YOUに似ていたなー)魅力的な方だった。


その後席を外して二階の下見をし、
閉店時間になったので外に出てみると完全にできあがった方々が。
(人数増えてました)
そこにオーナーの由記子さんも加わり、
「ぼてじゅう」に誘って頂いたのだが、
自分は予定があったので彼らの危うい足取りを見ながらそこでお別れした。


いやー濃い時間でした。
個展期間中、一体どーなることやら笑

夢中夢 企画/登場人物は皆狂ってた@難波ベアーズ

夢中夢 企画/登場人物は皆狂ってた@難波ベアーズ
を見に行った。


ha-gakure

トラックをバックに、
ポエトリーリーディングに近い圧倒的なMCと、ベース、ドラム、
の三人編成のバンド。
(会場が満員だったため、後ろの方からMCのヤスさんとベースの方の頭しか
見えませんでした。ごめんなさい。近くで見たかった、、)
一見、ブルーハーブを思わせたが、よく聴くと全然違った。
まずバンドという点が凄い。
曲によってはバンド全体で盛り上がっていくのだが、
それにヤスさんの抑揚のあるメロディーを奏でる声が負けていない。
楽器の創りだす音世界も素晴らしく、
ヤスさんの語りが絶頂に達したとき、
彼は上を向いて声を絞り出し、何かを叫んでいるようだった。
久し振りに、アーティスト自身の「存在」に魅せられた気がした。

ライブの後、ヤスさんと少しお話した。
今後何か一緒にできれば嬉しいなあと思う。



オシリペンペンズ

絶叫して、天井を破壊してしまった。
SEで流れていた「イトウベストvol.1」の影響もあり、
関西アンダーグラウンドと「アイドル」について考えさせられた。



にせんねんもんだい

以前monoのイベントでご一緒した時は
ほとんど見れなかったのだが、
今回も後ろから見ると女の子達の背が低いのか何も見えず。
ビール飲みながら目つぶって聴いていた。
複雑に絡み合うリズムの嵐がすごく気持ちよかった。
ステージ上でのやりとりを見てみたかった。
あと、バトルズももう一回ちゃんと見てみたい。


夢中夢

7月振りの復活ライブ。
依田君からもらったCDはかなりお気に入りで、
かなり期待していた。
ラストの新曲はとても良かった。
ラストの高揚するところは、シガーロスのそれにも匹敵するような荘厳な感じ。
依田君のテンション高い演奏を見たのは初めてだったので、
彼が叫んだ時には驚いたが、とてもよかった。
作曲家としての依田君の才能を見せつけられたような曲だった。
ただ、久し振りのステージということもあり、
バンド全体の連携というか意思の疎通というか、
そのあたりがうまくいってないように感じた。
自分は一人でやっているので実感はできないが、
何人かで一つのことを表現するというのは
とても難しいことだと思う。
「まさにバンドは生き物」
奇跡を起こすためには、
そのバンドメンバーで
多くのステージを経験していくということが
本当に大切なことなんだろうなあと思った。

その後依田君と少し話をし、
彼もやはり今回のステージに満足していないようだった。
また、彼の、
大きな仕事をやりきった充実感とともにくる
今後に対する心配、のようなものを感じたとき、
丁度2週間前の自分を見ているような気がした。
ちゃんといい仕事をして、
それをマメに周りにアピールできれば、
その後の事は自ずとついてくると思う。

レコーディング中の彼らのCDがとても楽しみ♪
自主レーベル立ち上げたらいいのになー、
とか勝手に思ったりした。

フラクタル

フラクタル

以前書いた自然の形態について調べてみた

「自己相似性」という原理の元、
自然界のデザインはどこか共通したものがある。
それを数学的に表現したものが「フラクタル」。
同じ式の繰り返しから、無限の複雑さを形成し、
結果、自然界のデザインを生成することができるのである。

「部分」が「全体」を表す。
これはなにも地球の自然にのみに限られたものではなく、
無機物、動物の細胞、DNA,さらには時間、音楽、芸術、
これら存在するすべてに適応されるのもである。


小さな細胞の一生、人間の一生、宇宙の一生、
これらを同じ時間軸にならべると、
すべて「時間のフラクタル」といえる。
さらにはDNAから生物の進化の過程そのものもそうだろう。


「ビッグバン」によって塵が四方八方に飛び散ったのに、
なぜ銀河があったり、宇宙空間に偏りがあるのか。
宇宙創世論において、「ビッグバン」に対して「メガバース」という考えがある。
宇宙はメガ(巨大)であると同時にバース(一編の詩)にすぎない、というもの。
メガバースによる宇宙は、フラクタル構造を備えている。
大きな宇宙が小さな宇宙を創りだし、
その小さな宇宙がさらに小さな宇宙を創りだし、
それは永遠に繰り返されていく。



自然の形態のことを考えていたら、
ミクロとマクロの話に繋がった。
これは以前、イームズの映像作品で見てから
かなり気になっていたこととも共通している。
これはおもしろいな!

少し先のお話

少し先の話ですが、
7/4~7/9
大阪の「ぎゃらり かのこ」で個展が決まりました。

このギャラリーは、
昔ながらの2階建ての長屋で、
一階は白壁、コンクリ床の「画廊 編」
二階は床の間のある昔ながらの六畳一間の「ぎゃらり かのこ」
となっています。

この和室という空間は以前から気になっていて、
今回の個展はとても楽しみです。
とくに障子を通した自然光の使い方がポイントになるのでは、
と模索中です。
以前Oさんがここて個展をされた時は、
自然光を一切排除した斬新な方法で、
やはり彼独自の素晴らしい空間を作っていました。

がんばるぞー!!

one flower

one flower

ペンと鉛筆で試行錯誤しながら作品を制作を始め、
現在の密に描きこむ作風に近づいた一作目の作品。

去年から何度か展示をしているのだが、
この作品が好きと言ってくれる人が多く、
その都度様々な事を気づかせてくれる。

大部分を占める余白と、
画面の左下にぽつんとあるモチーフ。
それは右に転がっていきそうであり、
ふわーっと上に浮き上がりそうでもあり、
右上から左下へ落ちていく途中の状態のようでもある。
ある意味今回の作品の中で一番動きのある作品かもしれない。

見に来てくれたOさんが
この作品の照明について意見をくれた。
(彼は平面の作家で、照明に対して凄いこだわりを持っている。
個展の度に見事に作り上げられた空間を見せてくれる、尊敬するartist)
モチーフの動きと余白の関係をうまく考慮した照明方法、
新しい発見だった。


「華」には様々な感情が含まれていると思う。

美しく
楽しく
儚く
悲しい

たくさんの花で画面を埋めようかとも思ったのだが、
自分の内面世界を深く表現したいと思い、
一輪の華にした。

in the cloud

in the cloud

この作品は
ミクロの動きとマクロの動きの関係が
今回の中で一番複雑である。

何箇所かで発生したミクロの渦が
微妙なバランスで融合し、
最後に大きな流れを作っている。


たとえ地上が嵐であっても、
雲の上は明るく、穏やかで、とても幸福な空間である。
子供達が雲の上を歩いたり、飛び跳ねたり、寝転んだり。
今の自分はそこには居ないと思う。
おそらく彼らの足元にある雲の中にいるのだろう。
もしくは雲そのものか。

昔、中国の人々は雲を見て龍を想像したという。
この作品の細部の動きは水蒸気の粒が作る小さな流れであり、
それらが複雑に絡み合ってできた雲の流れは
凄まじい自然の力を内包した龍となる。

the dead of night

the dead of night : 真夜中

今回の作品の中で一番評判がよかった。
真っ白な空間と、
中心に淡く見える小さなモチーフ、
画面を4分割にして隙間を空ける事で現れた十字、
これらが鑑賞者を作品の中心へ引きつけ、
その奥の/裏側の空間へと連れて行く。


真夜中に目が覚めた瞬間、
真っ暗な部屋の中、
瞼の裏側の残像がぼんやりと浮かぶ。
もしくはそれは心の奥底にあるものなのかもしれない。
そこは真っ黒の空間であり、
真っ白な空間でもある。

静かな幸せを感じ、
同時に底知れない孤独感に押しつぶされそうになる。
そんな真夜中の光景。

white scene

white scene

halcyonを描き終えた後、
その先の光景として見えた作品。

ペンと鉛筆で線を描き、
その上から薄めた白のアクリル絵の具(艶消し)を何層にも重ねて塗る。
ペンの線は淡いグレー/シルバーのような色になり、
鉛筆の線は一見真っ白に見える程色が薄くなり、
存在/非存在の中間の状態になる。

外から中心へ、中心から外へ、
そういう流れを意識した構図で、
作品全体のトーンが淡いこともあり、
見る人は絵の中心へと吸い込まれて行く。

吹雪の中、
自分の手の届く範囲までしか視界がない状況で、
ただひたすらに前へ突き進む。
一見幸せに見える程真っ白い世界で
もがく。
そんな光景を表現した作品。

halcyon

halcyon : n.冬至の頃、波風を静めるとされた伝説上の鳥
     a.穏やかな/平和な

monoの同名のタイトルの曲から受けたイメージと、
四国徳島県の「剣山」に登った時の経験が融合して生まれた作品。

「剣山」
昨年の春、剣山の林道をバイクで走った時、
初めて山、緑に感動した。
春先の緑の燃え上がるような生命力に恐怖さえ感じた。

「halcyon」
halcyonという曲は全体的に幸福なイメージのメロディーが流れている。
そして最後に「幸せ」が絶頂に達した時、
それは「暴力」的なエネルギーに変わる。
初めてライブでその曲を聴いた時、
一方的に/暴力的に浴びせられる音のエネルギーに
なすすべも無く心の中を掻き回され、
自然と涙が出てきた。


それら二つのイメージを融合し、
約一月間完全にアトリエに篭って制作した。
丁度一ヶ月後のmono主催のイベントでの展示が決まっていた為、
前半は先の見えない不安に常に追われた。
後半は心・精神の疲れにより完成の瞬間が分からなくなってしまい、
プラス溜まりに溜まった肉体的な疲れにより体を壊しかけた。
このまま絵を描きつづけても自分は幸せになれない、
絵を止めてしまおうか、と思う程心身共に追い詰められていた。
そんな追い込み時期の真夜中に、
目を瞑って久しぶりにhalcyonを爆音(ヘッドフォン)で聴いた。
その時は何かが違い、気持ちはどんどん高ぶっていく。
ラストの爆発が始まると同時に目を開けると、
目の前にある作品がそれまでとは全く別のものに見えた。
また泣いてしまった。
この瞬間のために今まで描いていたのだと実感し、
そのまま一気に描きあげた。
この曲の本当の意味がわかった気がした。
ただ幸せな時間を描いた祝福の曲ではなく、
辛いこと、苦しいこと、目をそむけていること、
そういう一見ネガティブに見えることを乗り越えた時に初めて見える光景、
それを言いたかったのではないかと思った。



そうして完成した作品のモチーフは
隙間がないほど細密に描き込まれ、
表面をツヤ出しのメディウムで固められている。
鑑賞者は生命のエネルギーを表現した細部の描き込みを目で追うため、
物理的には作品に近づくが、
その硬質に作り上げられた作品から降り注ぐ一方的なエネルギーにより、
精神的にそれに近づくことは難しい。

この作品の発するエネルギーが鑑賞者の心を暴力的に掻き回し、
その後彼らそれぞれの心の底から別の何かが生まれることがあれば、
この作品に込めた自分の思いが報われるような気がする。

red wood

red wood

植物は皆光合成をするため、太陽へ向かって成長していく。
その中でもred wood はカナダに生息する杉、
世界一背の高い常緑樹で、
大きい物では100メートル以上にもなる。
恐竜時代から存在して、、
成長するのに400年、最長で4000年も生きると言われている。

彼らは背が非常に高いわりに根は浅く、
大きいものでは弱い風でも自分の重さで倒れてしまうものもある。
(おそらくそれは種が生き残るための「間引き」として作用しているのだろうが)
それでも彼らは上へ上へと伸びていく。
そんな彼らの一方向のエネルギー、生命力、
運命のようなものを表現するため、
モチーフの上の何も無い空間を意識した作品を制作した。

本来ならこの作品の上に少し間隔をあけて
真っ白な絵を配置する予定だったが,
今回の展示スペースとの関係上、
上部の作品は展示しなかった。
他の作品と比べて少し低めに配置することにより、
鑑賞者の視線がモチーフの上の空間へより自然に向くようになった。


また、新たな試みとして、
モチーフの中に何も描かない空間を作ったことにより、
よりモチーフの奥行き、
生命の動きのようなものが
表現できたと思う。