sassan2000 diary -24ページ目
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大阪 ギャラリー ミニツアー 2

大阪ギャラリーミニツアー の続き



gallery H.O.T 四塚祐子展

以前からHPで作家さんの作品を見て気になっていた。
版画の技法で制作した作品。
薬品をかけて偶発的に作られるというその白と黒の混じり合った細密な模様は、
よく見ると一つ一つが幾何学的な形状をしていて、
ついどこまでも目で追ってしまったほど、見ていて気持ちがいい。

全体の構図としては作家さんが言っていたとおり地平線のイメージが強く、
画面の下3/4を占める黒い部分は黒い点の集合体をイメージさせ、
そこから上に行くにしたがってその点が蒸発し空気と混じりあっているようだ。
底にある意識が上方にある無意識の領域に溶け込んでゆく、
もしくはその逆かもしれないが、
そういう印象を受けた。

細部まで作り込まれた作品の特徴は、
遠くから見るマクロの光景と
近くで見るミクロの光景が一つの画面の中に存在するということによって、
一つの宇宙のような世界を作り出す事ができ、
その感覚が見る人に別の世界へ連れて行かれるような感覚を起こさせる。
しかし逆に考えると、
ミクロとマクロ、
それぞれが絵として成立していると同時に、
そのふたつの関係性が重要になってくると思う。
前回の個展で展示した作品は、
ミクロの動きがそのままマクロの形状に発展した作品が多い。
しかし、in the cloud だけは
ミクロの動きとマクロの動きそれぞれが複雑であり、
一見まったく別の動きをしているようであるが
よく見ると微妙な関係を元に形成されている、
そんな作品だった。

また、
事前に今回の展示を見に行った人から噂は聞いてはいたのだが、
やはりパネルの異常な反りが気になった。
自分の作品もきちっとした完成度が求められるだけに、
他人事ではないなと思う。





gallery 白  國方善博展

ここは西天満エリアで一番好きなgallery。
空間がというわけではなく、好みの作家が多い。
イメージ的には淡いものより硬質な作品が多い。
完成度も高いものが多い。

会場内には所狭しと、
台の上に置かれた作品が並べられていた。
空間を意識してというよりは、
せっかくだからいっぱいだしてしまった感が強かった。

反面作品ひとつひとつの完成度は非常に高い。
彫刻の硬質な質感と、
それを微妙なバランスで支える木の土台の暖かさ。
そして何より彫刻の風を感じさせるような軽やかな形態と、
増殖した生命を感じさせる不思議な形態。
表面の銅のようなくすんだ表面の奥に見える金色の輝きは、
見ていてどこまでも深く吸い込まれて行ってしまうほど心地よかった。
すべてがうまく融合された作品。
ここでもやはりミクロとマクロの関係を思わせた。

彫刻の技法についての知識は皆無なので、
作家さんに色々教えて頂く。
とても純粋な印象の方で、
思いのままに粘土を練っている時におもしろいと感じた形態を
そのまま抽出して作品にしているらしい。

ある作品が未来少年コナンのオープニングに出てくる飛行船
(むやみやたらに翼がでかいエイのような飛行船)
を連想させたので、
作家さんに話してみると彼も納得笑
しばしコナン話で盛り上がる。



今回の二人の作家の作品のディテールは、
どちらも液体(薬品)を撒いた時に起こる偶発性に委ねている部分が大きい。
(かなりの経験によるコントロールも含まれてはいると思うのだが)
やはり完全に人の手でコントロールされているものではなく、
自然の力が含まれている形態はおもしろい。
自然のみが作り出す形態でも、
人と自然が融合した形態でも、
人が完全にコントロールしたものより魅力があるように思える。

今日は色々良い勉強になりました。

大阪 ギャラリー ミニツアー 1

今日は大阪ギャラリーミニツアーに行って来た。


gallery wks. 牛島光太郎展

オーナーのkさんが先日の個展に来て下さったのでまず最初に。
マンションの11階の一室がギャラリーになっていて、
見渡しのいい渡り廊下が気持ちいい。
部屋の中は想像以上に広くて驚いた。
朝11にお伺いしたため作家の牛島光太郎さんはおられなかったのだが、
kさんと色々お話をした。
展示されている牛島さんとはお会いした事はないのだが、
一昨年のamuseでご一緒して作品だけは知っていて、
そのときからおもしろいなあと思っていた。
彼の作品は日常の中にあるものに直接、
彼の短い文章をのせたもの。
灰皿やコップから、壊れた自転車まで、とりあえずセンスがいい。
kさんのお話によると、
元々文章も書いていた方で、
それを融合した形で表現しているとのこと。

文字とは何か
言葉とは本来あるシチュエーションで発せられた瞬間に
最大の力を発するものだった。
しかし「印刷」という技術が発明され「活字」が生まれてから、
「言葉」と「時間」との密接な関係性は薄くなっていった。
いつ本を開いてもそこに「言葉」が存在する。
彼の作品はその今は当たり前になっている事実に疑問を投げかけ、
新しい「言葉」を探しているようだった。
今回は立体の中に同じ物質で作られた言葉が隠れていて、
より言葉と物体との融合が感じられた。


また今回の展示の中で、
セロテープだけで作った天井から床まで浸食する巨大生物の立体が印象的だった。
個展開始の2週間前から現場で作ったらしい。
セロテープを丸めて固め、ひとつの巨大な物体になる。
光沢のある物体は一見樹脂で作ったかのようにも見える。
樹脂で作る場合はあらかじめ型を作ってそこに液体を流し込むため、
あらかじめ最終形を想像しないといけない。
しかしセロテープの場合は頭の中のイメージに合わせて
どんどん増殖していくことができる。
また、カッターで簡単に削ぎ落とすこともできる。

いわゆる石や木を使っての場合、
削ぎ落とす方向で形を作っていくが
増殖させる方向で形をつくるのは難しい。
そういう意味でもおもしろい素材だと思った。

自分の作品の制作方法は樹脂に近いなと思った。
今後セロテープに近づく事はあるのかなあ。



kさんが僕の個展の後に滋賀県立近代美術館で買ったという
鈴木其一の「富士超龍図」のポストカードを頂いた。
富士をバックに龍が水面から飛び出した瞬間の絵。
山と水と龍、僕の個展の作品の要素がすべて含まれていたので
買ってきてくれたらしい。

時間を超越した共通項に
日本というものを感じた。
場所の力が時間を超えたのかな。
それとも大きな時間の流れの中のごく一部にすぎないのかな。
宇宙規模で考えると、
ミクロ細胞がどんどん生まれ変わる中の一つの現象に過ぎず、
ちっぽけにも値しないことだろう。
無に等しいこと。

でも描かないとやっていけない。
細胞が生きて行く上で。
個展が終わりまだ一週間も経っていないのに、
制作していていない自分に違和感を覚えた。
事務的作業や今後の展望について色々考える毎日の中で、
人に認められたい欲求や、
具体的な生活に対する不安に押しつぶされそうになっていたけど、
やっぱり自分は自分のために制作していたんだと気付く。

制作することで
自らを心身共に追いつめ、
このまま続けていても自分は幸せになれない、と思ったこともあった。
でもそれは自分が生きて行くために必ず必要な事だったのだと思う。
その山を超えて、
新しい世界を見渡すことができ、
次の山が見えてくる。
そういう活動をしていこう。

空間について

今回は大きく分けて2種類の作品を展示した。
ペン密に書き込んだ上から艶出しメディウムでコーティングした作品と、
ペンで描いた上から艶なしの白の絵の具を塗って線の色を薄くした作品。

前者はかなり密に書き込まれているため、
初めて見る人は近くに吸い込まれて細部の描き込みを目で追う。
しかし作品と観客の物理的距離がどれだけ近づいても、
硬質な作品と観客との内面の距離は遠いままでいつまでも近づき難い。
これらの作品は、
あるバンドのライブを見たときに感じた、
演奏者から観客へ向けて一方的に発せられるエネルギーのイメージを描いたもの。
その音の粒が聴き手の心の中を半ば暴力的に掻き回し、
その後一人一人の心の中で変化が生じる。
今回の観客の中にも、おぞましい、怖いといった感想を持った人がいた。


一方後者は一見真っ白に見える程淡い作品で、
見る人は物理的距離に関係なく、
心がぐーっと絵の中心やその向こう側へ吸い込まれる。
作品と観客の内面の距離がとても近くなることのできる作品。



前者の制作には心身共にかなりの労力が必要とされ、
特に丸一ヶ月引きこもって描いたhalcyonでそれはピークに達した。
一体なぜこんなにつらい思いまでして制作をしているのだろう、
もう止めてしまいたいと思う反面、
この混沌の先には一体どんな風景が広がっているのだろうという思いが生まれて来た。
その答えが後者の作品達である。
今の気持ちをそのまま吐き出した作品。
真っ白い風景、
それは幸せなのか悲しみなのかはわからない。
依田君の
「白すぎる絵は幸福という錯覚、あるいは幸福についての錯覚をイメージさせる」
という言葉が印象深い。


前者と後者、それらが一体となった今回の空間は、
陰と陽が渦巻くものになったと思う。
観客の多くは前者よりも後者の作品に親近感を覚えていた。
しかしどちらが欠けてもこれらは成立しないと思う。
例えば音楽でもそうなのだが、
激しい曲があるから穏やかな曲が際立ち、その逆も言える。
これは人生やその他あらゆる事象にあてはまる事。

まさにこの一年で作り上げた一枚のアルバムのような空間だった。

自然

自分の作品のディテールを見て、
水面を思う人は多い。
マーブリングという言葉もよく聞いた。

様々な作家の描いたドローイング、絵
を見てみて思うことがある。
それぞれに個性があって一つとして同じ絵はないのだが、
どうもすべて「人間が描いたもの」という枠の中に
すっぽり入ってしまっているのでは、、、
(自分の作品がそうなのだが、多くの線を描いていると、
どうしても同じパターンになりやすい)
そこで今は、
ひとつとして同じパターンが存在しない。
自然の造形に興味がある

しかし、ある方がこういう事を教えてくれた。
「すべての自然の形状というものは
一見すべて違う形に見えるのだが、
実はそれらはある一定の法則/パターンによって成立していて、
数式で表すことができる」
、、、
らしい

2/26 midoriyama 楽團歌月ライブ at neutron

18時からライブだったのだが、
外は雪がふる程寒いせいか
10分前になってもフロアに人が一人くらいしかいない。
無料でチケットがないため客数の予想ができず、
今日のライブは一体どうなってしまうのだろうと不安がピークに。
しかしそれとは裏腹に
椅子を並べだすと次から次に人が入ってきて、
20席程並べた椅子は全部埋まり、
席がない人には立ち見をして頂いて、
会場はいっぱいに。
(知り合いでない一般のお客さんが多くてびっくり)
あーこれだけでもう泣きそう。


横長の会場の両端で
midoriyamaさん、依田君にスタンバイしてもらい、
その二人に挟まれるような形で観客がいる。


会場の照明を落とし、
まずはmidoriyamaさんのソロ。
何か思い詰めたように間を取り、
無言で演奏を始める。
静かな音の中に彼の深い思いが込められる。
後半、新曲?でメロディーのテンポが早くなり感情は一気に高揚し、
彼の後ろに自分の白い作品を見た瞬間、
また泣きそうになってしまった。


midoriyamaさんの演奏が終わり照明が消え、
逆側にいる依田君に照明があたり彼のソロがスタート。
彼のソロを見るのは初めて。
色々な手法でギターを弾いて
(ウッドベース?の弦やサインペンまで使ってました)
できた音をループさせて次々と重ねていく。
曲の前半は一体どうなるのか全く想像できず、
不安と期待の入り交じった状態でじっと見守る。
しかし最後のメロディーを奏でた瞬間、
目の前にばっと素晴らしい世界が広がった。
夢中夢に通じる世界観。
リアルタイムで曲ができていく様は圧巻だった。


依田君のライブが終わった後、
midoriyamaさんと依田君二人に照明を当て、
間に挟まれたお客さんに
「セッションをしますので皆さんお好きな方をご覧下さい」
と案内したところ、
まるでモーゼの十戒の様にお客さんが二つに割れ、
二人の目の前に一本の道が現れる。
お互いの出方を見ながら音をぶつけ合う二人と、
それを見守る観客。
二人の後ろには白い作品。
ふたつの音と観客と作品が融合し、
またまた泣きそうになってしまった。


midoriyamaさんの睨みつけるような目つき、
依田君の次の音を探す時の悩んだような表情。
最後に依田くんがノイズを鳴らし、
それに合わせてmidoriyamaの音も激しくなり、
緊張がピークに達した瞬間
同時に音が止む。


そして会場全体のライトがついて
全作品に照明が当たる。


本当に素晴らしいライブだった。
二人のアーティストの奏でる音、観客、作品、
すべてが融合した空間。
これが自分が本当に表現したかった事だと思った。


今後作家活動を続けていくにあたり、
作風やスタイルなどかわってゆく事があるだろうけれど、
見失ってはいけない本当に表現したい事、根底にあるもの、
それらが今日の空間にあったことは間違いないと思った。


皆さんに心から感謝です。



ライブ後見に来てくれた色々な知り合いと話をし、
時間が経ってみんなが帰った後も
関係者たちは荷物を広げて座り込んで盛り上がる。
ギャラリー営業中ということでEさんに怒られたけど、
その空気がとても幸せだったので談笑を続けることに
(Eさんごめんなさい)
その後みんなでアンデパンダンで打ち上げ。
途中midoriyamaさんと彼の友人がバスに間に合わないと走って帰り、
依田君と彼女がプリンタイを食べたいと先に帰った後、
彼女と二人だけで宴の後を眺めていると、
ほんとに終わったんだなーという少し寂しい気持ちになっちゃった

社会

現代の情報管理社会において、
人間関係というものが希薄になってきている。
人が生きてゆく上で
陰と陽のどちらの場所も必要不可欠であるのだが、
現代のあまりに管理された社会では
陰の部分がなくなろうとしている。
その結果人間関係が希薄なものとなってしまっている。

そこで純粋な人間関係を築くコミュニケーションツールとして、
「アート」というものが一役を担う期待を背負っている。
潜在意識や深層心理を表現するような作品、
それらの作品が人と人の間を流れ、
関係性を深めるべきだろう

シュール

現実の中に超現実が存在し、
超現実の中にこそ現実が存在する

自分の作品のディテールには「流れ」がある

それは現実と超現実の間を流れるものなのか、、、

個展スタート!

今日から個展スタート!
2/26にはライブも
毎日頑張るぞー!

2/22~2/26 @neutron
"chain - synesthesia"

synesthesia : 「共感覚」
------ひとつの感覚の刺激によって別の知覚が不随意的に引き起こされる-------   
(Richard E. Cytowic)
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